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コラム#27「透明人間は本当に透明か?」

2022.04.11更新

またまた英国の作家H・G・ウェルズのSF小説です。特にウェルズを贔屓にしているわけでも、目の敵にしているわけでもありません。
SF作家の先駆者、神的作品が多いということです。そのウェルズが1897年に発表した作品が「透明人間」です。
何度も映画化された有名な作品ですから、多くの方は内容をご存じでしょう。
天才科学者が人体を透明化できる薬品を開発し、透明人間となって犯罪を実行する。と、いう内容です。
透明化するのは服用した本人のみなので、透明人間は衣服を付けず、靴も履きません。
原作中には食事の様子が記されていますが、摂取した食べ物は最初こそ見えていますが(空中に浮かんでいるように)、消化されるに連れて透明化します。
消化・吸収されることで、他者であった食べ物が透明人間本人になったためと考察されています。しかし、人間は微生物まみれで生きています。
皮膚表面や消化器内の微生物はもちろん透明人間本人ではありませんから透明化していません。
つまり透明人間に付着した微生物は見えるはずなのです。

微生物

コロニー

微生物とは、「肉眼で見えない程度の小さな生物」です。およそ0.1mmが肉眼観察できる最小と言われます。 しかし微小でも集まれば見えます。例えばカビ。カビの細胞1つ1つは肉眼観察できませんが、パンやミカンの表面で生育して細胞数が増えれば見えます。 では、微生物はどの位集まれば見えるのでしょう。培養液を寒天で固めた固体培地上で細菌を培養すると、細菌はコロニーと呼ばれる円状の形態を作ります。 これは円の中心にいる最初の細菌が細胞分裂して縦横上に並んだ結果です。 細菌の種類によってきれいなドーム(半球)型になったり、パンケーキのような高さの低い円柱型になったりします。 納豆菌の仲間等はコロニーの外周部がギザギザのフラクタル模様になります。
このようなコロニーがかろうじて肉眼観察できる状態の極小コロニー(ピンホールコロニー)の直径が約0.1mmです。 しかし、これも良く訓練された研究者でないと見つけることは困難です。 仮に体長1μmの球体型細菌がドーム型の極小コロニーを作ったとすると、極小コロニー中には細菌が50万匹位ひしめいている計算になります。 もし人間を50万人一か所に集めて組体操をしたら・・、想像を絶する数字です。
一方、微生物が水溶液中に浮遊している場合はどうでしょう。肉眼で濁りとして観察できる細菌の最小濃度は1立方cm当たり100万匹(10の6乗)位です。 これもやはり慣れた人が観察した場合の話です。良く澄んだきれいな海や湖でも1立方cm当たり1万~10万匹位の細菌がいるはずです。

皮膚表面の微生物

さて、人間の皮膚表面には1平方cm当たり1万匹(10の4乗)の微生物がいます。 数μm大の微生物を人間サイズ(1m位)に拡大すると、この密度は10km四方に1万人、つまり100m四方に1人と、ずいぶんと閑散とした状態です。 それでも人間の体表面積(約16万平方cm)を掛けると、総数は1億6000万匹と、日本の総人口を超えます。 同じ皮膚表面でも汗をかきやすく、こすれにくい指の間や関節部の内側では微生物数が多くなり、10万匹程度まで増える場合もあります。 また毛髪は様々な物質を吸着しやすいので、その表面にも皮膚と同程度かやや多い微生物がいると考えられます。それでも10万匹程度は、1か所に集中しても肉眼での観察はかなり難しい数字です。 ましてや皮膚表面1平方cm当たりの数ですから、透明人間の皮膚表面にいる微生物を見ることはできないでしょう。

消火器内の微生物

では、消化器内はどうでしょうか? 口の中、唾液1立方cmには数億匹(10の8乗)の微生物がいます。 これは先に紹介した濁りとして観察できる細菌の最小濃度の100倍の値です。これならば濁りとして充分に見えます。 そう、透明人間の唾液は見えるのです。恐らくは口腔内の形が空中にボヤっと浮かんで見えるのでしょう。 さらにきちんとデンタルケアをしていなければ、虫歯は勿論、歯間のプラーク(微生物が集まっている場所)もより鮮明に見えるはずです。 例えるなら薄い牛乳のような色をした総入れ歯が空中で動いているようなのでしょう。ちょっと怖いです。 更に食道を下って、胃袋へ。胃の中は強い酸性(pH2-3)なので、微生物のほとんどは死滅します。 胃液1立方cmには数100匹程度の微生物しかいないので、これは見えません。消化中の食物があれば、それだけが見えますが、空腹時には何も見えないはずです。
ところが腸に至ると様相は激変します。腸内は食物の消化物があり、温度も充分に暖かいので、微生物が盛んに細胞分裂しています。 従って段々と微生物濃度が高くなって、濁りがはっきりしてくるはずです。そして大腸。ここは微生物と消化しきれない食物が濃縮される場所です。 大腸の最終部には便が濃縮され、便1g当たりには数100億から1000億匹(10の10乗から11乗)程度の微生物が存在します。 そもそも便はその1/3が本人の細胞(死んだり、はく離した細胞)、1/3が未消化の食物、そして残りの1/3が微生物です。 この内、透明人間のものでないものは未消化の食物と微生物。従って便ははっきりと、腸の形として観察できるはずです。

透明人間の姿

これらを総合すると、透明人間の奇妙な姿が想像できます。
目の高さ、あるいはその上下位の位置にぼんやりとした総入れ歯のような形、そしてその下方には、うねうねと曲がりくねった腸の形に便が浮いているのが分かるはずです。 勿論、臭いはしないでしょう。これでは、悪目立ちして犯罪には不向きかと思われます。そしてこの状態で他人に見つかるのは、かなり恥ずかしいです。
では、どうするか? 要するに消化器内の微生物と未消化物を無くせば良いのです。このためには犯罪実行予定日の数日前から絶食する必要があります。 さらに下剤を服用して、消化器内を空っぽにしなくてはなりません。そして充分なデンタルケア&オーラルケアです。 歯をしっかり磨いて、プラークコントロールもして、殺菌力のある薬品でのうがいも必須です。そして、犯罪実行の直前にも歯磨き、うがいを忘れてはいけません。 しかし何日も断食していては、栄養失調により犯罪実行当日の行動に支障が出るかも知れません。 食べずに栄養を摂取するには、点滴しかありませんが、激しい運動を支えるだけの栄養が補給できるかは疑問です。 やはり日頃から体を鍛えて、断食にも耐えうる体力を付けておくべきでしょう。こう考えてみると、透明人間になって犯罪を実行するには、精神的、肉体的な強靭さが要求されるようです。


技術顧問 博士(農学)

茂野 俊也(Toshiya Shigeno